ミニ卓話2 職業奉仕委員長 大坪誠治

シカゴ万博以後、シカゴは物流の拠点として大企業のもとに多くの小中企業が重なり、労働市場も飛躍的に広がりました.しかし、それぞれの価値観で多くの人種が職業を求め集まったため、シカゴは無法と腐敗の街と化し、「騙すより騙される方が悪い」、「大衆は地獄に堕ちよ」といった考えがまかり通る時代となりました.都市が繁栄する一方で、下層はスラム化していったそうです.

この様に無秩序で、悪徳な自由競争の中で、ポールは孤独感と疎外感、加えて恐怖感をおぼえました.

そこで、政治的にも信仰的にも制約のない、心から信頼し、語り合える仲間がいたらどんなにいいだろうと考えるようになったようです.

すなわち、前回お話したように、幼少期に祖父や祖母と過ごしたニューイングランドでの安らぎをこのシカゴの街に求めたとも言われています.

                     

最初に、石炭商人のシルベスター・シールに相談し、その後に共通の顧客である鉱業エンジニアのガスターバス・ローアに話したところ賛同を得たため、次にローアの友人である仕立屋のハライム・ショーレイに声をかけ、この4人がクラブ創立の初期メンバーとなりました.

明治38年のことで、日本では日露戦争中でした.

<ちなみに1> メルビン・ジョーンズらによって、ライオンズクラブが設立されたのは、1917年とロータリークラブ設立の12年後でした.そして82歳で亡くなっています.

<ちなみに2> シカゴの闇の世界を牛耳っていたあの有名なアル・カポネは、1947年1月25日48歳の若さで亡くなっていますが、その2日後1月27日にポール・ハリスは78歳で亡くなっております.

<ちなみに3> ポール・ハリスは78歳で亡くなっていますが、米山梅吉は1946年4月28日ポール・ハリスと同じ歳である78歳で亡くなっています.

82歳、48歳、28日、78歳と、「(eight;エイト)」という数字が重なっているのはもちろん偶然でしょうが、なにかしらの「(fate;フェイト)」を感じます.

               米山梅吉

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