日本のロータリーの歩み

 日本のロータリー・クラブは、1920年(大正9年)10月、その頃の三井銀行重役米山梅吉氏が、国際ロータリーから委任されて、東京に設立したのがはじまりで、世界で855番目のクラブでありました。つづいて1922年大阪、次に神戸、名古屋、京都、横浜に、また当時日本の統治下にあった朝鮮、台湾、さらに満州国にも設立され、昭和15年には48クラブ、2,OOO名の会員を数えるまでになりました。
 ところが太平洋戦争直前の昭和15年には国際団体に対する圧迫がロータリーにも及び、ついに日本のロータリーは国際ロータリーから一時脱退しなければならなくなりましたが、戦時下にあってもその精神と組織は失われず、例会はつづけられ、戦後の平和回復とともに、国際復帰をめざす努力が実って、1949年(昭和24年)3月、東京、大阪をはじめ7つのクラブが国際ロータリー復帰を認められました。
 以来めざましい進展をつづけ、北は稚内、南は沖縄、サイパン、グアム、ミクロネシア、マリアナまで、実にクラブ数は2,200を超え会員数も約130,000名におよび、現在なお、日本のすべての都市、すべての町にクラブができるよう努力がつづけられています。
 これは、すべての会員が、住みよい世の中をめざして、ロータリーの奉仕の理想をひろめようとの、強い願いのあらわれにほかなりません。
 現在日本の会員数はアメリカに次いで世界第2位であり、ロータリー財団への寄付額もトップレベルで、大きな貢献を果たしています。